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3年間だけ存在した幻の村”みなと村”

現在の沖縄県那覇市にあたる場所に、1947年~1950年の3年間だけ存在した村がありました。みなと村といいます。

1950年ごろの那覇市周辺地図には、みなと村の存在が記されています。

※この地図に記載されている、那覇市以外の市村は全て那覇市と合併したので残っていません。

 

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画像中央:一ヶ月間放置した弁当に生えるカビみたいな色で塗られているのがみなと村。

 

1945年、沖縄戦をきっかけに、沖縄の貿易拠点であった那覇港は米軍に占拠されていました。

那覇港で行われる米軍の物資や民間への食料品等の積み下ろし作業は、当初日本軍の捕虜が行っていたのですが、その後すべての捕虜が解放され本土へ引き上げていったことにより、作業要員として沖縄県民2千人により那覇港湾作業隊が結成されました。

その作業隊と、その家族を合わせた一万人が住むために作られたのがみなと村なのです。

 

 

 

港で働く人が住むからみなと村。大変わかりやすくてGOODですね。

ボディビルダーが住む村だったらボディービルダー村になってたかもしれません。

いやしかし、みなと村の村民は全て港湾作業員です。屈強な男たちの村でした。

ボディビルダー村とまで言わずとも、ボディビルダー顔負けの筋肉マンが住んでいた村だったのです。

 

ボディビルダー村、もといみなと村は那覇港港湾作業に欠かせない労働力として隆盛を誇りましたが、しかし結成からわずか3年後、みなと村の歴史は幕を下ろします。

1950年に港湾作業が民間の業者による請負制に変わった為、村を存続する意味がなくなってしまったのです。

同年8月1日にみなと村、もといボディービルダー村は那覇市に合併しました。

現在の地図で言うところの、那覇市松尾、楚辺、山下町、壺川のあたりが、みなと村のあった場所です。

 

 

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現在の沖縄に、みなと村(ボディビルダー村)の痕跡はほとんど残っていません。

なにせ3年しか無かった村ですから、文化財的な物もありませんし、地元でボディビルダー村(みなと村)のことを知っている人もほとんどいません。

 

しかしボディビルダー村の役場庁舎として使われていた建物が残っています。

それが、奥武山の世持神社です。

世持神社は沖縄の3偉人を祀った神社で、昭和12年に建てられました。

ここに祀られているのは、イモを育てやすい環境を作った政治家”蔡温(さいおん)”、中国から日本にイモを伝えた”野国総管(のぐにそうかん)”、イモを広めた”儀間真常(ぎましんじょう)”という3人。なぜか全員イモがらみの偉人ですね。

日本人が焼き芋好きなのは、いわばこの3人のおかげです。一度でもイモを食べたことがある人は参拝してみるといいと思います。

 

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小心者なので、ご神体丸出しの本殿に近づいた写真は撮れなかった。

 

ボディビルダー村に住んでいたボディビルダーたちは、世持神社を村役場として使用していました。

当時使っていた建物自体はすでに取り壊されてしまったようですが、この場所がボディビルダーたちの村の中心だったことは間違いないのです。

想いをはせれば、今でも彼らがストイックにトレーニングを行う姿が目に浮かぶようです。

 

いわばビルダーの聖地・マッスルソサエティとも言うべきみなと村庁舎跡、世持神社。

ボディービルの皆さんも、一度訪れてみてはいかがでしょうか。

 

 

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